それによって、結局、さまざまな批判もありますけれども、東京においては、現在の内堀通り、靖国通り、昭和通り、こうした通りが整備をされて、現在の東京の骨格をなす、まさに窮地を、ピンチをチャンスに変えて、現在の東京の復興があったと思いますけれども、先ほどの国土交通省のような対応では、これがもし本当にすさまじいことがあったときに、これは役所に言うのも申しわけのないことで、まさに政治がしっかりと判断をしておかなければいけないことだと
松浪健太
昭和通り、靖国通り、内堀通りなど大きな幹線道路二十二本、そして永代橋、両国橋などの大きな橋を九つ、そして小学校の耐震耐火設備、そして集合住宅とか大きな公園等々、あらかじめ大きなビジョンを描いていたということが非常に大きかったわけであります。
山谷えり子
しかし、これは無駄だ無駄だという大合唱の中で結局つぶされて、今残っているのは、昭和通りに面影がございます。
その次に東京の都市改造を試みられたのは、戦後の焼け野原の中からこの東京をどう復興させようか、こういう中で都市計画が試みられました。
松本文明
道路についてもう一つだけ、これは国母の交差点で、もう少しまたミクロの世界なんですが、二十号線、現甲府バイパスと昭和通りという県道があるんですが、そこが山梨県有数の渋滞。特に、渋滞損失時間という、最近国交省も県も、道路行政の中で、渋滞見える化プランとか交通安全見える化プランとか、いろいろなことで見える指標で優先順位を検討していただいています。
後藤斎
だから、大正大震災が終わった後、後藤新平市長が四十メーターの昭和通りをつくったのがせいぜいだった。戦後の戦災復興では二十メーター道路しかつくっていない。既にもう東京都は首都としての機能の限界に達しちゃっているんですよ。
坂本剛二
その後、その復興計画は予算の関係で縮小されましたが、後藤新平さんの初めの案は物すごい大規模な根本的な改造計画でありましたが、ごらんのとおり、昭和通りその他幾つかの大通りが完成しましたが、住宅その他の建設はいわゆるバラック復興で、そのままそれが残ってしまった。もう一回それを復旧する間もなく、大空襲でまたそれらが全焼してしまったわけでございます。
高山英華
しかし、そのおかげで現在、昭和通り、永代通り、隅田公園などが残っているわけですから、そういう遺産残しのためにもしっかりしたものをつくるにも何といっても財源が要るので、そういう財源の確保とあわせて、先生あおっしゃるダブルネットワーク、ネットワーク構想を実現すべきだなと思いますが、それについても先生の御意見を。
沓掛哲男
そのために、昭和通りも雄渾な計画が半減しまして、現在のように五十メーター道路になってしまった、こういう経緯があります。私は、後藤新平の構想が生きていて、今ごろ昭和通りが八十メーターとか百メーター道路になっていたならば、東京の災害ももし起これは随分違うだろうと思うのでありますが、残念であったと思います。
それでも、この当時の、大正十二年の国家予算というのは十三億八千九百三十五万円であります。
野呂田芳成
○草川分科員 今も申し上げましたように、警察庁としても安全ということを前提に考えるならば少し見直してもいいというようなことを言っておみえになりますが、例えば都内だと昭和通りにもありますし、有楽町―日比谷、あるいは赤坂の交差点の陸橋、いろいろなものがございますが、今おっしゃいましたように、ああいうところへ本当の小型の一番軽いのがのこのこと割り込んで走行の邪魔をするというようなことはまずないわけでありますので
草川昭三
新居浜市の中心的な商店街に昭和通りというのがございます。ここには約四百店の店舗があるわけですが、昨年の秋には四十八店が閉店した。年末にはさらに加えて三十五店が店を閉めるというふうなことで、まさに市内の目抜き通りが歯抜け通りになっているというふうに言われるほどさびれてきております。また、いわゆる町の電気屋さんと言われる家庭電器販売店、これも新居浜市でこの一年間に十店舗が廃業をしてしまった。
木村純
それから、いまあなたが言われたように昭和通り、これのバスの一日の通行量は、天神町から呉服町まで二千八百六十九、天神町から赤坂まで千三百九十六、それからいわゆる俗に言われている国体通り、これがあなたが言われた第二番目の道ですが、渡辺通りから呉服町が七百八十四、天神町から護固までが千二百四十九と、こうなっているわけですね。
そうしますと、こっちの方にもう流すわけにはいかない。
安恒良一
御承知のとおり、福岡市の東西交通は二〇二号線が主でございますし、その北側に昭和通り、南側にいわゆる城南道路と三本の路線があることは先生十分御承知のとおりでございます。
浪岡洋一
長岡市の神田町三丁目から川崎町の字川崎までの昭和通り川崎線というのがございますね。これは建設省御存じだと思います。この川崎線の都市計画街路の事業認可というのはこれは建設省がおろすわけでございますけれども、いつごろおろされたのか、またその街路は国道としてはどこに連結、連絡するのか、その点だけお聞かせいただきたいと思います。——わかりませんか。
加藤進
○今井参考人 私どものほうで茨城県にお願いをいたしました道路を路線別に申し上げますと、主要国道としまして龍ケ崎-潮来線、成田-江戸崎線、それから一般県道としまして江戸崎-神崎線、それから国道百二十五号線、それから一般県道としまして上土田-筑波線、それから主要地方道といたしまして石岡-下館線、それから龍ケ崎市都市計画街路としまして昭和通り線、それから姫宮-大徳線、これだけでございまして、全部合わせまして
今井栄文
昭和通りの下、等にございます五つの一連の駐車場は、これは東京都が収支を償わないことを覚悟をしてやっておる事業でございます。こういうものの考え方はこの市街地再開発とそのまま通用すると思っております。そういうことでございますから、計画を立てただけであとは民間にまかせようなどとはちっとも思っておりません。
山田正男
それから第六突提、昭和通りの三丁目、こういうようなところあたりの問題は一体どういうふうになっているか。どれくらいできるものかできないものか、どういうふうな状態であるかということをひとつ資料としてあとでいただけばけっこうでございますが、できますか。
大橋和孝
次に、小郡町の昭和通り踏切道について申し上げます。この踏切道は第一種踏切道で、国道二号線と国鉄山口線とが交差しており、一日の遮断時間一・六時間、列車回数七十回、交通量一万五千台となっており、交通渋滞の個所となっております。これが対策として、小郡バイパスの早期完成と踏切信号機の設置が強く要望されておるのであります。
次に、関門国道トンネルの交通事情等について、調査いたしたのであります。
太田一夫
その他、直接関係はございませんけれども、昭和通りの交通を緩和するために一連の立体交差の工事をやる、あるいは東京港から船で来た方の交通のために佃橋を設けるとかという工事をいたしております。いずれもすべて順調に進んでおります。その他の工事も、八月の中ごろに完成するものは別でございますが、そうでない工事は中止いたしまして路面を整備するというような形の予定をいたしております。
山田正男
したがいまして、そういうものが今後再開発によりまして現在の小さなブロックの建物がまとまった共同建築をやることによってブロックの数が減るということになるというと、交通統制もだいぶ楽になって参りますのと、それから昭和通りに現在立体交差をやっておりますところのああいう状態で交通の流れをとどまらないようにいたしますと、交通量は各街路につきまして約二倍になります。
谷藤正三
その後四月七日午前一時二十五分ごろ、九回目の電話で「被害者宅から約三百メートル離れた昭和通りの品川自動車株式会社の横に駐車している小型貨物自動車の荷台に子供のくつを置くから、母親が一人で来て、そこに金を置いて帰れ。子供は金を受け取ってから一時間以内に返す場所を指定する。これが最後だ。」という旨を述べたのであります。
篠田弘作
その後、四月七日午前一睡二十五分ごろ、九回目の電話で、「被害者宅から約三百メートル離れた昭和通りの品川自動車株式会社の横に駐車している小型貨物自動車の荷台に子供のくつを置くから、母親が一人で来て、そこに金を置いて帰れ。子供は金を受け取ってから一時間以内に返す場所を指定する。これが最後だ」という旨を述べてきたのであります。
篠田弘作
その後四月七日午前一時二十五分ごろになりまして、九回目の電話におきまして、被害者の宅から約三百メートル離れました昭和通りの、品川自動車株式会社のわきに駐車しておる自動車に子供の靴を置くから、そこに母親一人で来て五十万円を置いていけ、こういう連絡がございました。
宮地直邦